ココ・シャネルのスタートと愛する人の交通事故死

数奇な運命をたどるココ・シャネル

シャネルにとって、創業者ココ・シャネルは重要な意味があります。
カール・ラガーフェルドが皇帝と呼ばれるほどになれたのも、シャネルという素地があったことは確かです。
どれだけ優れたデザイナーであったとしても、ココ・シャネルという存在を引き継いだということは間違いありません。

ココ・シャネルの本名はガブリエル・ボヌール・シャネルといいます。
ココは通称で、こちらが定着することになったにすぎません。
非常に華麗でありながら、スキャンダラスで激動の人生を歩んでいきますが、実際にココ・シャネルが残した自伝は存在しないのです。
それだけ他の人から注目されやすい人であったことは間違いありません。

アドリアンヌと帽子専門店

1983年にロワール地方のソーミュールに生まれます。
しかし、病弱な母が病に倒れてしまい、父はリムーザン地方のオバジーヌにある修道院併設の孤児院に預けてしまうのです。
これ以降合うこともなく、激動の人生はここから始まっていきます。
孤児院から一緒だったアドリアンヌとともにフランス中部のオーベルニュ地方の都市ムーランで歌手になります。
この頃からココという愛称をメインにしていました。

アドリアンヌが結婚してしまうと、ココは一人になってしまいます。
客だったバルザンの大邸宅で愛人となりますが、そこでバルザンの友人の青年実業家だったカペルと出会うのです。
カペルとの恋に落ちますが、実業家であったことから事業のために政略結婚を選びます。
カペルとは愛人関係となることになるものの、出資を受けて1910年にカンボン通りにのちに本店となる帽子専門店シャネル・モードを開けるようになるのです。

しかし、ココは裁縫や針仕事はできても、ファッションは独学です。
デザイン画も掛けるはずはありませんでしたが、これが反骨精神となり事業を進めていきます。

愛するカペルの交通事故死

1913年になると、ドーヴィルにモードブティックを開きますが、これが記念すべき1号店となります。
ですが、本店がオートクチュールに変化した段階で吸収されました。
カペルという存在があったからこそ、シャネルが成立し、シャネルは大きくなっていきます。
それだけ、ココはカペルという存在を愛してしましたし、頼っていたということでもあるでしょう。
女性が自立して経営できた時代ではなく、苦しい時代だったこともあります。
その中でも一定の成功を見ていきますが、1919年にカペルを交通事故で亡くすことになるのです。
やっとのことで幸せな人生を歩み始めたのにもかかわらず、大きな打撃を受けてしまいます。

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