波乱の人生を送ることになるココ・シャネルと最後

シャネルの隆盛とココ・シャネル

大事な後ろ盾であり、愛していたカペルをなくしたココ・シャネルは、悲しみを乗り越えるために、シャネルという企業にのめりこんでいきます。
これが、現在のような企業にまで成長するきっかけになっていくことは、ココの波乱の人生の一つのページでしかありません。
伝記にすることができるほどのココの人生は、まだ幕を開けたばかりだったからです。

シャネルというブランドがやっと定着してきたときであり、ココはシャネルの経営に注力することで乗り越えていきます。
起業家であるココの本領を発揮することになるのです。

不幸が付きまとうココの人生

シャネルは世界で最も売れたといわれる香水No.5で大成功を収めていきます。
シャネル・スーツやリトルブラックドレスといった、これまでの女性で見ることができなかった革新的なデザインを取り入れるようになり、事業はどんどん拡大していくのです。
創業から20年たった1939年の従業員数を見てみると、4,000人を超えている大企業に成長していきます。

ココは、ロシアの作曲家ストラヴィンスキーやウエストミンスター公爵と恋仲になっていました。
中にはプロポーズをする人も現れるほど、花のある生活をして行くのです。
それでも、プロポーズをしてくれたウエストミンスター公爵に対しては、ウエストミンスター公爵夫人は3人いるけど、ココ・シャネルは1人しかいないという名言を残します。
実に清々しい答えともいわれますが、それほど一人の女性として愛されたかったともいえるでしょう。
1930年にハリウッド映画での衣装のプロデュースでアメリカに渡った際にイラストレーターのポール・イリブと恋に落ちます。
拭こうとは続くもので、1935年にポールがテニス中に心臓発作で倒れ亡くなるのです。
常にこうした不幸が付きまとうのも、ココの人生だったといえるでしょう。

リッツカールトンでのココの最後

コレクションの忙しさは年を増すごとに高まり、とうとうストライキが発生します。
時代は第2次世界大戦であり、香水とアクセサリー以外のビジネスをすべて閉鎖することになるのです。
ココはパリで細々とシャネルのブランドを守ります。
そんな時に実はアメリカではヴェルタイマーがシャネルブランドを使い香水でビッグビジネスになっているのです。
ドイツ軍によってフランスが占領されたのちにもパリにとどまり、ドイツ軍将校の愛人になった時期もありました。
それでも、フランスにとどまっていたのです。
シャネルブランドはヴェルタイマーのおかげでアメリカで成功を収めていたこともあり、関係が修復したのちに現在の形になっていきます。

1954年に70歳を超えた段階でカムバックし、ヨーロッパにおけるビジネスも復活しました。
晩年には本店の斜め向かいにあるリッツ・カールトンホテルが住居代わりになっていましたが、最期はそのリッツのホテルの部屋でコレクション準備から戻って就寝したまま永眠したのです。

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